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日向国分寺跡

((ひゅうがこくぶんじあと))

日向国分寺跡は、宮崎県西都市に位置する古代から近世にかけての寺院跡です。この寺院は、奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺の一つであり、日向国国分寺としての歴史を持ちます。しかし、明治4年(1871年)に廃寺となり、現在はその跡地が国の史跡に指定されています。

寺院の歴史

奈良時代の創建と背景

日向国分寺は、奈良時代に聖武天皇の命により建立された寺院です。国分寺は、全国の国ごとに設置され、国家鎮護を目的として建てられました。しかし、日向国分寺の具体的な創建時期については記録が残されておらず、明確ではありません。『続日本紀』の天平勝宝8歳(756年)の記述から、741年から756年の間に建立されたと考えられています。

近世の再興と衰退

天明8年(1788年)、全国を行脚していた遊行僧の木喰が日向国分寺を訪れました。当時の寺院は衰退していましたが、地元民の要請により木喰は住職となり、寺の再建に尽力しました。寛政3年(1791年)には火災で堂宇が焼失しましたが、木喰は再建を進め、五智如来像を含む仏像を作り上げました。しかし、明治4年(1871年)の廃仏毀釈により寺は廃寺となり、取り壊されました。

明治以降の変遷

廃寺後、五智如来像は地元の信仰者たちによって守られました。その後、寺は再建されましたが、戦後まもなく台風で倒壊しました。その後再度再建されましたが、五智如来像を安置するための木喰五智館が建てられる際に、寺の建物は取り壊されました。

日向国分寺跡の発掘調査

日向国分寺跡は、西都原台地の南部、やや低地に位置しています。発掘調査は1948年に日向考古調査団、1961年及び1989年には宮崎県教育委員会によって実施されました。その結果、僧房跡と推定される遺構が確認されましたが、主要伽藍の配置については明らかにされていませんでした。1995年以降、西都市教育委員会による調査により、金堂のものと推定される掘込地業跡や中門跡、回廊跡が検出され、伽藍配置の一部が明らかになりつつあります。

日向国分尼寺跡

尼寺跡の概要

日向国分尼寺跡は、僧寺跡の北方約600メートルに位置し、現在の宮崎県立妻高等学校の敷地内に推定されています。諏訪遺跡としても知られるこの場所からは、国府や僧寺と同時期の製作とみられる瓦が多数出土しています。しかし、発掘調査では溝が検出されたのみで、伽藍の具体的な配置は未だ明らかにされていません。

文化財としての指定と保存

国の史跡指定

日向国分寺跡は、昭和9年(1934年)4月17日に宮崎県の史跡として指定され、平成23年(2011年)9月21日には国の史跡として指定されました。これにより、寺院跡の保護と保存が進められています。

宮崎県指定有形文化財

日向国分寺にあった木造五智如来坐像は、平成8年(1996年)11月1日に宮崎県指定有形文化財(美術工芸品)として指定されました。これらの仏像は、日向国分寺の歴史を物語る重要な文化財として、現在も地域の信仰を集めています。

アクセスと現地情報

日向国分寺跡は、宮崎県西都市三宅に位置し、西都原古墳群や日向国府跡などの歴史的な遺跡が周辺に点在しています。これらの場所は、地域の歴史を学ぶうえで訪れる価値のあるスポットとなっています。

所在地

日向国分寺跡: 宮崎県西都市三宅(北緯32度06分08.70秒 東経131度23分48.87秒)
日向国分尼寺跡: 宮崎県西都市右松(北緯32度06分28.87秒 東経131度23分46.66秒)

周辺観光スポット

日向国分寺跡周辺には、西都原古墳群や日向国府跡などの歴史的な見どころが多く、観光を楽しむことができます。

Information

名称
日向国分寺跡
((ひゅうがこくぶんじあと))

宮崎市・都城・日南

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