橘公園通りは、宮崎県宮崎市にある道路で、宮崎市役所前の橘橋北詰(国道220号)から、同市松山2丁目の日豊本線までの約800メートルにわたって大淀川の左岸(北側)を走る通りです。この道路は、大淀川沿いに整備された橘公園(たちばなこうえん)に隣接しており、市民や観光客に親しまれています。正式な行政上の路線名は「宮崎市道川原通線(かわはらつうせん)」であり、道幅は約7メートルです。
橘公園通りの南側には大淀川が流れ、川沿いには芝生が広がる植栽帯としての橘公園が整備されています。この公園は太平洋戦争後の復興土地区画整理の一環として、宮崎県によって整備され、1948年6月23日に供用が開始されました。
橘公園は、1954年に宮崎交通が休憩所であるロンブルテントを31ヶ所に設置し、51本のフェニックスを植栽したことにより、現在の景観の基盤が築かれました。その後、1955年12月21日に公園の管理が宮崎市に移管されました。1970年代には橘橋の架け替えが行われ、公園の形状も変更されました。さらに、1996年度から1998年度にかけて再整備が実施され、現在の公園が完成しました。
ロンブルテントは、赤と白、青と白のストライプのカラフルな屋根を持ち、公園内の所々に配置されています。また、公園内には、歌人である長塚節が宮崎の地を詠んだ歌碑が建てられており、訪れる人々に歴史的な背景を感じさせます。
橘公園や橘公園通りからは、遠くに霧島山系の高千穂峰や韓国岳を望むことができます。特に夕方には、霧島山に沈む夕日の美しい風景が広がり、多くの人々に感動を与えています。1964年(昭和39年)には、NHK連続テレビ小説『たまゆら』の執筆のために宮崎を訪れた川端康成が、この美しい夕日に魅了され、予定していた2日間の滞在を15日間に延長したという逸話もあります。この『たまゆら』を記念した碑も橘公園内に建立されています。
橘公園通りの北側には、宮崎市内の高級ホテルや旅館が多数立地しており、宿泊した観光客や市民らが昼夜を問わず散策を楽しむことができます。この通りは、1987年(昭和62年)8月10日に旧建設省と「道の日」実行委員会によって制定された「日本の道100選」にも選定されており、その美しい景観と心地よい環境が高く評価されています。
橘公園通りは、宮崎市の中心部に位置しながらも、大淀川と橘公園が織りなす自然豊かな風景を楽しむことができる貴重な場所です。橘公園通りを歩けば、歴史と自然が調和した空間で、宮崎の魅力を存分に味わうことができます。
宮崎を訪れる際には、ぜひ橘公園通りを散策してみてください。橘公園通りは、美しい自然と歴史的な背景を持つこの地域の魅力を感じることができる場所であり、昼間の散策や夕日の眺めなど、訪れる時間によって異なる風景を楽しむことができます。