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都農神社

(つの じんじゃ)

都農神社は、宮崎県児湯郡都農町にある歴史ある神社で、日向国の一宮にあたり、式内社に指定されています。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社として崇敬を集めています。地元では「一の宮神社」として親しまれており、その神聖な存在感は地域に根付いています。

神社の概要

都農神社は、かつて「宮崎社」や「宮崎宮」とも呼ばれ、明治以前から地域の守護神として信仰を集めていました。祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)で、大国主命とも同一視される神です。この神は、古くから都農町一帯の土地を守る存在とされ、地域の人々から崇敬されてきました。『塵袋』には、都農神社が疱瘡(ほうそう)の治療や田畑の虫害を防ぐ力があると記され、病気や農業に関わる神としても信仰されていました。

創建の由来

社伝によると、神社の創建は神武天皇が即位する6年前にさかのぼります。天皇が東征に向かう際、この地に鎮祭したことが始まりとされています。また、神功皇后が三韓征伐に向かう際にも守護神としてこの神を勧請したという伝承があります。このように、神武天皇や神功皇后と関連の深い神社としてもその歴史は古いものです。

考古学的背景

都農町には縄文時代からの遺跡が多く分布しており、都農神社の鎮座地周辺からも土器や石器が出土しています。また、円墳や前方後円墳など20基以上の古墳があり、地域一帯が古くから人々に居住されていたことが確認されています。これにより、都農神社が守護神として崇められていた歴史は、太古の昔から続いていると考えられています。

神社の歴史

中世から近代の歴史

承和4年(837年)に官社に列し、その後も格式高い神社として続いてきましたが、天正6年(1578年)に起こった大友・島津両軍の戦乱により、社殿や古文書が焼失し、次第に衰退しました。しかし、元禄5年(1692年)に高鍋藩主・秋月種政によって再興され、以後は歴代の藩主によって守られ、江戸時代を通じて崇敬を集めました。

近代の発展

明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣小社に列せられ、昭和9年(1934年)には神武天皇御東遷2600年記念事業として社域の整備が行われました。戦後、神社本庁に属し、昭和23年(1948年)には別表神社となり、平成19年(2007年)には本殿が再建されました。

神階の授与

承和4年(837年)には官社に列せられ、承和10年(843年)には従五位下が授けられました。天安2年(858年)には従四位上に昇進し、格式の高さがうかがえます。

境内と建造物

本殿と拝殿

現在の本殿は平成19年に再建されたもので、安政6年に河野喜之助が寄進した旧本殿のデザインをほぼ踏襲しています。拝殿も本殿と同時期に再建され、旧拝殿は神楽殿として使用されています。鳥居や神門なども整備されており、境内は美しく保たれています。

摂末社

都農神社の境内には、いくつかの摂末社が鎮座しています。中でも、瀧神社は社殿の背後に流れる不動滝を祀っており、自然との調和が見られる神聖な場所です。また、素盞嗚神社や足摩乳神社、手摩乳神社などもあり、それぞれ異なる神々を祀っています。

祭事と行事

都農神社では、年間を通じて様々な祭事が行われています。毎月の月次祭をはじめ、1月の歳旦祭や8月の夏祭り、10月の新穀感謝祭など、地域の信仰を支える重要な行事が数多くあります。特に夏祭り(御神幸祭)は、神輿が町内を巡幸する大規模な行事で、多くの人々が参加し賑わいます。

おわりに

都農神社は、古くからの歴史を持ち、地域の人々に愛されてきた神社です。その祭神である大己貴命は、病気や農業にご利益があるとされ、多くの人々の信仰を集めています。現在でも、都農神社はその神聖さと歴史を感じさせる場所として、多くの参拝者が訪れています。

Information

名称
都農神社
(つの じんじゃ)

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