陰陽石は、宮崎県小林市東方の岩瀬川(浜の瀬川)内に位置する自然の造形物で、特に夫婦岩に見える奇岩として知られています。この奇岩は、加久藤火砕流堆積物によって形成されたもので、霧島ジオパークの霧島ジオサイトにも指定されています。また、2009年(平成21年)には、当時の宮崎県知事であった東国原英夫氏の発案により、「宮崎県観光遺産」(自然遺産)として「生命発祥の聖地」に指定されました。
陰陽石は、岩瀬川三之宮峡の下流に位置しています。約33万年前の大噴火によって発生した加久藤火砕流が多量の火山灰や溶岩を堆積させ、その後、川の浸食作用によって現在の形が形成されました。陰陽石は、高さ17.5メートルの男根の形状をした「陽石(男石)」と、その傍らに周囲5.5メートルの女陰の形状をした「陰石(女石)」から成り立っています。
陰陽石には、古くから伝わる伝説があります。それによると、昇天する竜が美女に見惚れて降りてきたというものです。この奇岩は、古くから縁結びや子宝、安産祈願の神として崇められてきました。観光地として広く知られるようになったのは、1917年(大正6年)に新道が開通してからで、それ以前は畦道を通る以外にアクセス手段がありませんでした。
1950年(昭和25年)、小林市営による「浜の瀬荘」が開設され、観光地としての陰陽石の地位が確立されました。さらに、毎年9月23日の秋分の日には「陰陽石祭り」が開催され、多くの参拝者や観光客が訪れます。また、1929年(昭和4年)4月には、詩人の野口雨情が旧制小林中学校および小林高等女学校(現・県立小林高校)の講演のため小林を訪れた際に陰陽石を訪れ、その時に詠んだ歌が1951年(昭和26年)に歌碑として建立されました。
2009年(平成21年)、東国原英夫氏の発案により、陰陽石は「宮崎県自然遺産 - 生命発祥の聖地」に選定されました。選定理由としては、その他に類を見ない巨大さと自然の造形美、そして男石・女石の両方が揃っていることが挙げられます。このように、陰陽石は自然の驚異として多くの人々に知られ、愛されています。
慶応3年(1867年)、薩摩藩に仕えていた木脇啓四郎が陰陽石を描き、関盛長が文を記した『日向国諸県郡小林郷東方村陰陽石図』が制作されました。この図には、陰陽石の神秘的な形状やその神聖さが詳細に記されています。また、陰陽石が古来より神聖視されてきた理由として、その形状が神道の教義に通じるものとされています。
野口雨情が陰陽石を訪れた際に詠んだ歌「浜の瀬川には二つの奇石 人にゃ言ふなよ語るなよ」は、1951年(昭和26年)に歌碑として建立されました。この歌は、陰陽石の神秘性とその神聖な存在感を表現したものであり、訪れる人々に静かに語りかけています。