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神門神社

(みかど じんじゃ)

神門神社は、宮崎県東臼杵郡美郷町にある神社で、祭神として大山祇神、百済の禎嘉王、倉稲魂命、品陀和気命(応神天皇)などが祀られています。本殿は国の重要文化財に指定されており、神社の歴史的価値を物語っています。

概要

神門神社は、養老2年(718年)の創建と伝えられています。『神門神社縁起』によれば、奈良時代中期の孝謙天皇の時代(天平勝宝8歳、756年)に、百済王族の禎嘉王とその子である福智王、華智王が日向の海岸に漂着し、禎嘉王は神門に定住、福智王は現在の木城町に居住したとされています。地元の「益見太郎」または「益シ見ル者」の支援を受け、禎嘉王とその子らは崇敬され、死後は神として祀られたと言われています。

『続日本紀』との関係

日本の記録『続日本紀』には、天平宝字三年九月四日(759年)の条に、「近年、新羅の人々が帰化を望んで来日し、その船が絶えることがない」と記されています。これにより、当時の新羅や百済からの流入があったことが裏付けられます。

4つの異なる伝承

神門神社に関する伝承は、以下の4つの文献で異なる内容が記されています。

①『神門神社縁起』と②『比木大明神縁起』

①と②は、甲斐州山梨郡山王社の神主である源光章が作成しました。これらの前半部分は『比木祠旧記』の写しであり、後半は源光章の考証が加えられています。両書では表記や内容に若干の違いがあります。

③『日向旧跡見聞録』

笠原道順が現地で取材した内容をまとめたもので、百済に関する伝承は語られておらず、比木神社の祭神は「異国の大将軍」とされています。

④『筑紫日記』

高山彦九郎の巡遊日記であり、神門神社の祭神について「百済王とも源頼朝の子供ともいう」と述べられています。

遺品と文化財

神門神社には、禎嘉王の遺品として伝わる24面の鏡が社宝として残されており、社殿の近くには「百済王貞嘉帝古墳」と書かれた標柱があります。また、神社の屋根裏には多数の鉄鉾や鉄鏃、須恵器の大甕、古墳時代の直刀や銅鈴、馬鐸(ばたく)などが保管されており、地域の武器庫としての役割が考えられます。

重要文化財

神門神社の本殿は寛文元年(1661年)に建立された七間社流造で、国の重要文化財に指定されています。

選択無形民俗文化財

日向南郷神門神社・木城比木神社の師走祭りは、旧暦の12月(例年新暦の1月最終週頃)に行われる1,000年の伝統を持つ祭りです。この祭りでは、木城町の比木神社に祀られている福智王の御神体が、神門神社の禎嘉王に対面するために90kmの道のりを旅する儀式が行われます。平成3年(1991年)1月25日に選択無形民俗文化財に指定されました。

宮崎県文化財

神門神社には、古墳時代から室町時代にかけての銅鏡33面や、応永8年(1401年)に僧侶の比丘長存が描いた板絵観音菩薩正体が宮崎県文化財として指定されています。これらの文化財は「西の正倉院」に収蔵されています。

アクセス情報

神門神社へのアクセスは、JR日豊本線の「日向市駅」前にある都町バス停から宮崎交通バスの神門行きに乗車し、1時間10分で「百済の館前」バス停に到着します。バス停からすぐの場所に神社があります。

Information

名称
神門神社
(みかど じんじゃ)

高千穂・延岡・日向

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